明治40年8月 大水害

● 災害の原因となった気象現象
 8月18日に琉球諸島東方海上で発生した台風は奄美大島東方を経て四国の南方に達し、東進して紀伊半島潮岬南方海上で消滅しました。また21日に小笠原諸島南西で発生した台風は、同島の西方海上で針路を北方に変更、八丈島に接近し同島の東方海上で消滅しました。この二つの台風は、停滞していた梅雨前線を活発化し、関東甲信越地方を中心にほぼ本州一帯に大雨を降らせました。 (*1)

● 災害の概要
 山梨県富士川水系では、22日~27日の降雨量が多いところで883mmを記録し、山梨県東部では大規模な土砂災害が発生し、富士川水系の笛吹川・釜無川の堤防が決壊し甚大な被害が発生しました。 (*1)
 これを契機に富士川改修が行われ、また、被災者が北海道羊蹄山山麓へ移住する契機ともなりました。(*6)
 利根川水系では、23~27日間の降雨量が下仁田628.3mm、前橋168.9mm、本庄276.9mmを記録し、利根川本川の右岸仁手村(現本庄市)地先で、延長約 918mにわたって破堤したのをはじめ、支川の渡良瀬川・小貝川で破堤し、浸水面積は78,000haにも及びました。 (*2)
 相模川では、各地で堤防が決壊し、全壊家屋6戸、浸水家屋1,613戸を記録しています。 (*3)
 多摩川では丹波山観測所の総降雨量は611mmに達し、23、24日の2日雨量は433mmを記録し、堤防決壊約20ヶ所の被害がありました。 (*4)

● 洪水氾濫区域(不明)

● 被害状況

 浸水面積

利根川流域78,000ha、多摩川流域:約4,500ha

 家屋損壊

 相模川流域:全壊6棟(*3)

 家屋浸水 

 不明

 死者・行方不明

 不明

 負傷者

 不明

 堤防決壊

 多摩川流域:堤防決壊約20ヶ所(*4)

 その他

(参考資料)
  *1:明治時代に発生した山梨県東部における大規模土砂災害と災害対策
  *2:利根川水系>河川整備方針>既往洪水の概要
  *3:京浜河川事務所>災害の記録>相模川
  *4:京浜河川事務所>災害の記録>多摩川
  *5:山梨県:「明治40年の大水害」(明治40・43年水害と北海道移住)/ウィキペディア検索
  *6:日本歴史災害時典(平成24年6月 北原糸子他編 古川廣文館)


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