● 江戸時代以前
1 戦国時代(軍事土木技術と共に発達した治水技術)
平安時代末期の関東地方の人口は約90万人(今日の1/40)程度で、荘園や国府などがまばらに分布している状態でした。関東地方に暮らす人々は、生活用水や農耕灌漑用水、水産物の採集、舟運用水路として自然のままの川を利用していましたが、大規模な河川防災工事は行われていませんでした。
戦国時代になると、築城や堀づくりなどの軍事的土木技術が進歩していきます。城下町や耕作地が拡大するにつれ、治水の重要性も増してゆき、領地内を流れる比較的大きな河川において、軍事的土木技術を応用しながら、領地の資産等を守る治水対策として計画的に築堤や護岸整備(川普請)を行う事例がみられるようになっていきます。戦国時代の治水工事では、武田信玄によって甲府盆地で実施された「信玄堤」と呼ばれるの治水事業が有名です。 (参考:富士川の洪水をふせぐ歴史的なしせつ 国土交通省 甲府河川国道事務所)
2 江戸時代(利根川の東遷と荒川の西遷)
江戸幕府の成立後、関東地方の人口は急増し各地に都市や集落ができました。増加する人口を支えるために、関東平野の低地部では用水路の整備や新田開発が進み、他地域との物流確保のため河川舟運が活発化しました。 このような時代背景のもと、関東平野を流れる利根川・荒川などの大河では、”瀬替え”と呼ばれる大規模な河川改修が行われました。またこの時代には、他の河川でも流路の変更などが多数実施されました。
(利根川の東遷)
従来、荒川・入間川を合流して江戸湾(現東京湾)へ注いでいた利根川・渡良瀬川の流路を、開削や築堤によって東に向きを変え、鬼怒川と合流させて銚子で外洋へ出るようにしました。これを『利根川の東遷』と呼んでいます。
利根川の東遷の主な目的は、舟運ルートの整備(参考:国土交通省利根川上流河川事務所HP)と、氾濫原や低湿地の干拓等による新田開発です。
利根川の東遷事業は、同時に利水面での目的が第一義的ではありましたが、江戸を水害から守ること、利根川を北関東の外堀として東北からの侵攻に備えることなどの効果も期待されていました。
(荒川の西遷)
利根川の東遷前の荒川は、大宮台地の東側を流下していました。その利根川本川と分離した荒川の流路を新しく西側の入間川へと繋ぎかえる瀬替えが行われました。この瀬替えは『荒川の西遷』と呼ばれています。入間川の水量を増やして、狭山丘陵からの木材運搬の舟運水路を確保するとともに、かつての荒川(元荒川)を含めて沿川の新田開発や用水確保をすすめるために行ったといわれています。 (参考:国土交通省水管理・国土保全局/統計調査結果/河川/荒川の歴史)
図 利根川の東遷、荒川の西遷
(多様な治水事業への取り組み)
河川の氾濫原であった低地部の開発は、同時に洪水との戦いの始まりでもありました。荒川の西遷によって入間川筋に実績最大の洪水(参考:国土交通省 荒川下流河川事務所HP)を呼び込むことになり、このため中流域では、洪水に備え集落や農地を守る大囲堤(参考:国土交通省荒川上流河川事務所HP)や横堤が築かれました。下流に位置する江戸の市街地を守るために、隅田川の両岸に日本堤、隅田堤を築いて狭窄部を設け(参考:国土交通省荒川下流河川事務所)、上流側の沿川水田地帯を遊水地化しています。
● 明治時代以降
時代が明治に替わってからも、海外の治水技術を取り込むなど、治水に向けた努力は続けられました。しかし、大都市圏での人口や産業の集積が進むにつれ、水害被害は徐々に拡大し、第二次世界大戦時に治水事業が中断されたことが影響し、終戦後の日本では、大規模な水害が続発するようになりました。その後、総合的な治水事業の進展もあって、水害による死者などの人的被害はかなり減少しましたが、経済的な被害は少なくならないのが現状です。
1 明治初期~明治中期(河川事業の主目的は舟運確保)
明治新政府は、オランダからは新しい治水に関する土木技術を導入し、明治8年(1875年)には利根川の工事に着手しています。その主な目的は舟運の便を図ることで、河岸と船が通れる水路の確保のための低水工事が行われました。2 明治後期~昭和初期(河道の直線化、荒川と江戸川の放水路開削)
その後、明治29年(1896年)に水害の防止を目的とする河川法が施行され、洪水流を河道の中に留めて、できる限り速やかに河口(海)へと流下させることを原則とし、水系一貫方式で臨むことが求められるようになり、河道の直線化と高い堤防を構築する高水工事が盛んに行われるようになります。明治43年(1910年)8月の台風は、関東地方をはじめとする東日本に甚大な被害を及ぼしました。利根川水系の本支川をはじめ多くの河川で破堤や越流が生じ、沿川低地や東京の下町一帯が浸水被害に遭いました。「東京大洪水」(参考:「明治43年荒川放水路の契機となった大洪水」/荒川下流河川事務所)と呼ばれるものです。
これを契機として、国は全国河川の治水計画(河川改修計画と砂防計画)を策定していきました。(「第1次治水計画」の策定)
これを踏まえて、東京東部・埼玉南部の低地帯を水害から守る抜本的・本格的な治水対策として、明治44年(1911年)に荒川放水路と江戸川放水路の開削工事に着手しました。
荒川放水路は、大正13年に通水し、昭和5年に事業の完了を迎えました。(参考:「荒川放水路変遷誌」(概要版)/荒川下流河川事務所)
江戸川放水路の事業完了は大正9年です。
3 昭和初期~第二次世界大戦(治水の空白時代、水害拡大の要因蓄積)
昭和初期になると南関東における工業の発展は著しく、市街地が拡大していきます。河川は電力エネルギーや都市用水・工業用水を供給する場として強く意識されるようになってきました。そのため、「治水」と「利水」の双方に配慮する “河水統制”の考え方を取り入れて「第3次治水計画」(昭和11年)が新たに策定され、中小河川への事業費補助・助成も行いつつ、河川改修事業等を進めることとなりました。しかしながら、戦時色が強まってくるに従い、河川改修工事などへの事業予算配分の問題から着手・着工できなくなるケースが増え、そのまま太平洋戦争へと突入する事態を迎えてしまいます。結局“計画倒れ案件”が続出し、戦後まで“治水の空白時代”といわれるような状況に陥ってしまいました。
4 第二次世界大戦後の河川防災(水害の急増、総合治水への転換)
戦災復興期ともいえる戦後の十数年間は、昭和22年のカスリン台風をはじめとして、アイオン台風、キティ台風、狩野川台風等々、関東地方は立て続けに大きな水害に見舞われました。これら多くの水害を被りながらも、戦災復興に関する事業と並行して洪水防止のための治水事業も順次進められていきました。
高度経済成長期に差し掛かるころには、産業の高度化(特に工業化)や都市人口の増加に伴う工業用水・上水道用水の需要が増え、電力エネルギー需要も増え続けていくことに対応して、河川総合開発事業として、防災・水源・電力に対応する多目的ダムの建設がすすめられていきます。
昭和39年には、増加する水需要と治水対策に対応するため、「水系一貫の河川管理」の考え方を踏襲しつつ、新たな河川法が制定され、一級河川、二級河川、準用河川などの河川の位置づけとその管理主体・範囲が明確になり、河川防災の取り組みは、河川水系ごとの「工事実施基本計画」に基づいて推進していくことになりました。
上流部のダム、中流部の遊水地、河道の流下能力の向上などが総合的に進められた結果、昭和40年代後半にもなると、関東地方では大規模な河川災害(水害)も随分と減少してきています。 その一方で、流域全体の著しい都市化の進展に伴い、新たな態様の水害が発生するようになってきました。いわゆる都市型水害と呼ばれるものです。
参考:内閣府 防災のページ 風水害・雪害対策 > 風水害対策 > 大規模水害対策に関する専門調査会 > 第4回 > 資料7
利根川及び荒川における戦後の河川整備箇所図が掲載されています。(2、6頁)
国土交通省 関東地方整備局 ホーム > 河川 > 防災 > 洪水 > カスリーン台風 >カスリーン台風の被害
(総合治水対策)
総合治水対策とは、“水循環”健全化や“環境管理”の視点も取り入れながら、河川における治水能力・効果と、流域(沿川堤内地側)の保水能力・減災効果等をバランスさせるように、ハード(河川構造物等)+ソフト(災害情報・警報・避難対策等)両面から“流域”全体で総合的に治水対策を考えていくものです。 総合治水対策の考え方は、沿川の地域づくりやまちづくりの中に取り入れられるようになってきました。
参考: 国土交通省水管理・国土保全局/基本情報/パンフレット事例集/防災/水害対策を考える
総合治水の事例:「鶴見川の流域で雨となかよく暮らすための入門書」
鶴見川流域水協議会(国交省、東京都、神奈川県、横浜市、川崎市、町田市、稲城市)/京浜河川事務所内作成
(スーパー堤防)
一般の堤防は、長く水に浸かる、水が堤防を超えるなどによってその強度が低下し、破堤にいたる危険性があります。このような堤防を安全なものにする方法として、高規格堤防(スーパー堤防)が考案されました。 利根川、荒川、多摩川で整備が始まって。海抜0m地帯では、スーパー堤防は洪水時の避難場所としても有効です。
参照:スーパー堤防〔説明動画付〕
国土交通省関東地方整備局/荒川下流河川事務所
(地下治水施設)
近年は、二層河川、地下放水路、地下貯留池、地下ダムなどの地下での洪水対策施設の整備も進められています。
参考:地下放水路(首都圏外郭放水路:江戸川河川事務所)
二層河川(わが国初の二層河川:釜川〔宇都宮市〕)
(河川施設の補修・更新)
これまでに整備してきた治水施設の機能を十分に発揮させ続けるためには、補修や更新が欠かせません。河川施設の耐震化等これまでと同じくしっかりした維持管理を継続することが大切です。
参考文献・資料:
『日本の河川』:建設省大臣官房広報室監修、河川行政研究会編集、(社)建設広報協議会(平成7年6月)
『日本の土木地理 国土 への理解と認識のために』:土木学会 日本の土木地理編集委員会編集、森北出版(株)(1975年3月第1版訂正刷)
『日本の河川-自然史と社会史-』:小出博著、(財)東京大学出版会(1970年9月)
『解説 河川環境』:河川環境研究会監修、(財)河川環境管理財団編、(株)山海堂(昭和58年8月)